母親が図書館で借りた『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』を借りてきて読み終えた。自分のアタマで考える式の著者が、多様な考え方を持つ世界の国々をまわって観察してくるとこういうアウトプットになるんだなと単純に思える。著者の考え方フィルタを通した世界が観える。でもきっとこの人の言いたいことは、この人の世界観をそのまま受け取れということではなくて、自分で世界を見て考えろということなんだろう。たぶん。
最後の章に出てくる旅のコツ、クレームを伝えるときに「笑顔で、ハッキリと、リクエストする」という手法が、その場の対処としていいなと思った。クレームがあるときにはたいてい自分も気分を害しているので、つい怒りがちになる。で、怒ると相手は気分悪くなるって当然のことで。相手にさっさと対処して欲しいなら、気持ちよくやってもらったほうが結果がよくなるのは当然だろうなと。このこと、この本では考え方の根底が異なる海外での振る舞いのことを書いているのだけれど、日常生活、たとえば仕事上なんかでも同じような考え方はできる。
ただ、難しいなと感じるのは、クレームを伝える相手の成長を期待している場合。会社で後輩に注意するとか、特に難しいのは家庭でこどもにクレームを伝えるとき。つい怒り調子で命じてしまうことがある。根底にはこどもの成長を願ってという考えがあるのだけれど、怒ってて伝わるのかはよくわからない。でも怒らないといつまでも甘えが出るような気がしてしまうので、つい強い口調になる。怒らず叱れと言うけれど、難しい。怒っている自分を自覚できるとよいのだけれど、エルメス事後式というか、気がついたときには死んでいるということが多い。
いきつくところはセルフコントロールと、日頃からの相手と自分の関係性の構築なのかな。相手のなかに自分に対する信頼残高が多ければ、相手はこちらの言うことを聞いてくれる、と『7つの習慣』にも書いてある。叱ることができるだけの貯金残高を日頃から築いておかないと、ここぞというときに引き出せない。で、こども相手の場合がまたややこしい。そもそも食べさせてやっている、生活させてやっているという目線から入ると、残高がそれなりに積みあがっているような錯覚をおこしてしまう。それはたぶん錯覚ということでいいと思う。親側の勝手な思い込みなんじゃないかと疑うことをしないと、気がついたら預金は借金に変わっているかもしれない怖さがある。
相手に期待をしているから口調が強くなる、逆に期待していないから笑顔でクレームを伝えられる、そんな関係性なんか間違っているように思える。相手に期待をしている、していないも考えればいいけれど、最終的には自分がどう振舞いたいのか、たまには怒ることもあるのがOKなのか、いつも朗らかでいたいのか。僕はなるべく怒りたくない、笑っていたいので、期待する相手にも怒らず笑ってクレームを伝えられる努力をするんだろうなと思う。などと本とはあまり関係ない話をメモして終わり。